History

1957年──東京・日比谷の宝塚劇場では、一風変わった新型車の発表会が
催された。
全10景のショーを楽しみ、新型車のためのオリジナル・ソングまで耳にした来場者は、
その場で『スカイライン』という車名を記憶することとなった。
クラス最高出力60馬力の直列4気筒エンジンを搭載するこの新型車は、
125km/hの最高速度を誇るとともに、足回りもスポーツカーなどに採用されていた
「ド・ディオン・アクスル」を標準装備する最先端のクルマだった。
スポーツカーとセダンは住む世界が違うと誰もが思っていた時代に、
スポーツカーの「運転する喜び」を享受できるセダンは、人々の憧れの存在となった。
1960年11月にはミケロッティ・デザインの『スカイライン・スポーツ』を
トリノ・ショーで発表し、53名の幸運なオーナーの手へと渡っていった。

1963年──2代目スカイラインが登場する。
来るべき自家用車時代を読んで、4万kmまたは2年間保証の封印エンジンや
3万kmまたは1年間グリス・アップ不要のシャシーなど、
メンテナンスのフリー化が図られていた。
一方、作り手の高い理想は「走りの性能を極める」ために、
4気筒ファミリーセダンのボディに
6気筒125馬力のエンジンを積むという形で具現化する。
1964年、第2回日本グランプリに出場したスカイラインGTは、
プロトタイプ・スポーツカーのポルシェ904GTSを7周目のヘアピンで抜き去るという
離れ業を成し遂げ、「羊の皮を着た狼」という称号が与えられる。
レースでの活躍がユーザーのラブコールを生み、
翌1965年2月には『スカイライン2000GT』として市販され、
発売を待ちわびた多くのファンの元へと届けられた。

1968年──3代目スカイラインは、ファミリーユースとスポーツ性を
両立させるという開発コンセプトをさらに昇華させ、
より快適なグランツーリスモとして成長を遂げた。
テレビコマーシャルでは、『愛のスカイライン』のメッセージで、
若いカップルが遠くへ旅に出たストーリーを描き、
パートナーとドライブを楽しむクルマ、というイメージを定着させる。
バリエーションも1500、1800、2000、ハードトップと多様になり、
ユーザーそれぞれが手の届くストーリーがそこには用意されてあった。
郊外へ向かう高速道路では、楽しげなカップルを乗せて走るスカイラインに
多くの視線が注がれた。
国産1500ccクラス初のディスクブレーキを採用したのもこのモデルで、
シャシーのグリス・アップ不要距離は10万kmまで伸びていた。
ボクシーになったスタイリングに合わせて、『ハコスカ』の愛称も誕生した。

1972年──4代目「ケンとメリーのスカイライン」キャンペーンが
メディアから発信された。
ロマンチックでヒューマンなストーリーに、
若者から年配者まで幅広い年齢層の共感が集まり、
キャンペーン用のTシャツやステッカーが飛ぶように無くなった。
グランドツーリングのイメージを謳ったCMソング
「ケンとメリー〜愛と風のように〜」も異例のヒットを記録する。
一種の社会現象を巻き起こすほど強烈なインパクトを与えたキャンペーンは、
日常のすぐ隣にある非日常の世界をすべての人に手渡してくれた。
スポーツセダンとしての名声を不動のものとしたケンとメリーのスカイラインは、
累計販売台数も歴代最高の64万台を達成するベストセラーとなり、
日本の道には愛するメリーを乗せて走るケン達のスカイラインが輝いていた。

1977年──5代目スカイラインは、再び走りのイメージを復権させる。
『ハコスカ』の愛称で呼ばれた3代目のコンセプトに立ち返り、
「日本の風土が生んだ日本の名車」としての自負をキャッチフレーズに込め、
"SKYLINE JAPAN"のメッセージとともにデビューする。
当時のカタログには「大人のGT」「知性あるGT」「ロマンあるGT」
といった言葉が散りばめられている。
モデルチェンジを機にターボを搭載し、省燃費と高性能を両立させ、
さらに低公害・静粛性を求めた夢のエンジニアリングは、
80年代が求める新しいGTの姿を現実のものとした。
スカイラインの先進性はファッションにもおよび、
広告のサブ・キャッチフレーズを用いた「Mr.&Ms.」のTシャツは
1978年だけでも57万着も売れ、関連キャラクター商品が街にあふれ、
人々の生活の中に深く入り込むこととなった。

1981年──6代目へと進化したスカイラインは、
ポール・ニューマンを広告キャラクターに起用し、
走りを追い求める真のGTとしての道を歩む。
歴代モデルを通じて、スカイラインは革新技術を数多く投入してきた。
このR30系にも量産車としては世界初となる
「アジャスタブル・ショック・アブソーバー」を採用し、
確実なロードホールディングと快適な乗り心地を両立させた。
間髪を入れず、日産としては8年ぶりとなる
DOHCユニット搭載の2000RSを追加発表し、
「走りのスカイライン」を待望するファンを歓喜させた。
1983年には日本初の4バルブDOHC+ターボの心臓を持つ
2000RS-TURBOが登場し、「レーシング・スポーツ」のネーミング通りに
10年ぶりとなるサーキットへの復帰を果たした。

1985年──人と環境への調和・共生をコンセプトに、
7代目スカイラインがデビューする。
目指したのは、ソフィスティケートされた高級スポーティサルーン。
この7代目では、C10以来搭載されてきたL20型エンジンに代わり
新世代のRB20系ユニットに一新するほか、
世界初の4輪操舵システム「HICAS(ハイキャス)」も搭載した。
「からだの延長としての存在」という広告のフレーズは、
新たなデバイスを採用したこのクルマの特性を象徴的に表現していた。
一方で、1987年8月にはグループAのホモロゲーション獲得のため、
800台限定モデル『GTS-R』が発売される。
これに合わせてスカイラインはツーリングカー・レースに本格参戦し、
1989年には「'89年度のシリーズ・チャンピオン」を獲得することになる。

1989年──スカイラインの系譜に8代目が登場する。
先代よりも大幅にシェイプアップしたスタイリングは、
4ドアで70mm、2ドアで130mmも全長が短い、ショート・オーバーハングであった。
重量も50kg以上も軽く、新開発4輪マルチリンクサスペンションとの相乗効果で、
その走りは飛躍的に向上していた。
見た目にもスポーティなR32型は、運動性を重視した
本格的スポーツセダンとして生まれ変わり、
そのコンセプトと向上した走りから「超感覚」なる言葉を生み出した。
若者層を中心に新しいスカイラインファンを獲得し、
この世代でスカイラインの生産累計が300万台を超える。
1991年8月に追加されたGTS25シリーズは、スカイライン初の2.5リットル
直列6気筒ツインカム24バルブエンジンを搭載し、
自然吸気ならではのゆとりある走りをラインナップに加えた。

1993年──全車3ナンバーボディが与えられた9代目スカイラインが誕生する。
居住性と快適性に、スポーツ性を合わせ持つ
「卓越した走りの本流グランドツーリングカー」がキーコンセプトであった。
「あした、スポーティに生きる」という、
若さを失わないクリーンでポジティブな生き方の提案は、
これまでにない幅広い層から支持を受けることになる。
生活シーンでの人とクルマの関係を、より深めることで得られる走りの楽しさ。
真のグランドツーリングカーを持つことで生まれる心のゆとり。
9代目が映し出すのは、時代をしなやかに生きるオーナー像の投影だった。
高性能2.5リットルターボ、ハイトラクションレイアウト、
電動SUPER HICAS、ABS、アクティブLSDなどの採用は、
次世代・高性能グランドツーリングカーの新たな基準を塗り替えることとなった。

1998年──スカイライン伝統の「速いハコ」が戻って来た。
10代目を数える区切りのモデルチェンジを飾ったのは、
ホイールベースを短縮し、全長を切り詰め、
NEOストレート6を搭載した新型R34だった。
著しく剛性感を向上させたボディは"DRIVING BODY"と名づけられ、
誰もが体験したことのないスポーツドライブの感動を4ドアセダンで提案していた。
スカイラインがスカイラインらしくあるために。
それも「速いハコ」と呼ばれ、愛されてきたこのクルマに相応しく。
約40年の時を経てたどりついたメッセージは、
純粋進化を遂げた「スカイラインの走りのDNA」そのものだった。
蘇った走りとともに、ステアリングホイールのスポーク部にある
「+」「−」のシフトスイッチでも変速操作できる、
デュアルマチックM-ATxを採用したのもニュースとなった。

『スカイライン』のネーミングは、モーター・スポーツの発展とともに、
その輝きを孤高の存在として高めてきた。
そのスピリットは、自らが参戦するレース・カテゴリーをプロダクション・モデルの車名に冠した「S54(1964)」によって知ることができる。
国産車としてはごく希な、レーシング・フィールドと同列で語ることを許された一台。
このクルマにまつわる神話は、ある歴史的瞬間から幕を開ける。
1964年5月3日、第2回日本グランプリが鈴鹿サーキットを舞台に行われた。
スタート直後から式場壮吉が駆るポルシェ904GTSが後続を引き離しにかかるが、
7周目のヘアピンで生沢徹のスカイラインGTが抜き去り、
8周目までポルシェをリードしたのである。
レース専用に開発された重量650kgのポルシェ904GTSを、
量産車をベースにした重量1100kgのスカイラインGTが一瞬とはいえリードしたのだから、
驚嘆の一語に尽きる出来事だった。
その後、JAF公認レース49連勝の金字塔を打ち立て、
『スカイライン伝説』として人々に語られることになる。
スカイラインのレーシング・フィールドは国内だけに止まらない。
初参戦ながらグループNクラスで優勝した1991年のニュルブルクリンク24時間耐久レースをはじめ、同年のスパ・フランコルシャン24時間耐久レースにもエントリーを果たす。
グループA総合優勝、N1クラス優勝の結果を残して。
さらに、1995年、1996年と、世界の名だたるスポーツカー、GTカーが競う
ル・マン24時間耐久レースに挑む。
ある者は「レース距離300kmのスプリント・レースを20回も走るようなものだ」と話し、
またある者は「魔物と女神の両方を見ることのできる世界で一番長い日」と語った。
フランス、サルテサーキット。1周13.6km 。平均速度200km/hオーバー。
総走行距離4000kmを越える24時間の死闘の果てに、1995年は日本車最高位の総合15位を、1996年は2カーエントリーの1台が総合10位を獲得した。
スカイラインは、その時代の最先端テクノロジーとレースで蓄積されたノウハウを
惜しげもなく投入し続けてきた。だからこそ、その他のファミリーセダンとは異なり、
憧れや夢を語れるクルマとして存在し続けている。
「スカイライン=レース神話」の方程式は、いまも人々の胸に熱く輝いている。

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